
坂本スミ子の今現在と死因!若い頃の楢山節考・死去など総まとめ
かつて“ラテンの女王”と呼ばれ、歌手として活躍する一方で、女優としても評価が高かった坂本スミ子さん。
そんな坂本スミ子さんの若い頃の経歴と、女優としての代表作となった映画「楢山節考」、そして2021年1月23日に死去した死因についてまとめました。
そんな坂本スミ子さんの渾身の役作りが功を奏したのか、1983年、映画「楢山節考」がカンヌ国際映画祭に出品されると、大方の予想を裏切って見事パルムドール(グランプリ)を受賞するんですよね。
ちなみに受賞は全く予期していなかったそうで、同映画祭に出席していたのは、坂本スミ子さんだけだったそうです。
受賞式でのエピソードについて、後に坂本スミ子さんは次のように語っています。
「あれは私一人で行きました。(息子役の)緒形拳は大河ドラマの収録に入っていてダメ。それで東映の岡田茂社長に『カンヌに行くくらいのお金は出してよ』って言って(笑い)。
その頃のカンヌ国際映画祭はレッドカーペットもありませんし、派手な衣装を着た女優さんもいなかった。今と違って地味なフランスの映画祭だったんです。私は着物を表彰式用とパーティー用を持って行きました。
その頃、太地喜和子がうどんのCMで着ていたのが素晴らしくて『あんた、その着物ええな。どこで借りたん?』って聞いて、彼女に紹介してもらって奇麗な着物を借りることができました」
受賞式の際、トロフィーを受け取った坂本スミ子さんは、大阪の“おばちゃん”らしくお茶目に「おおきに、おおきに」を連発。
そんな可愛らしい坂本スミ子さんの素顔と、映画「楢山節考」での老女“おりん”役とのギャップは、世界を大いに驚かせたと言います。
坂本スミ子のその後と現在について
再婚した夫の実家・熊本で幼稚園の園長をつとめていた坂本スミ子
その後の坂本スミ子さんは、ライブ活動を中心に展開されていたようですが、1993年からは熊本で暮らす夫の母親の跡を継いで、熊本市内にある聖母保育園幼稚園・幼愛園の園長を長年務めていたようです。
2005年の朝日新聞の取材に対して、坂本スミ子さんは次のように語っています。
「子供はとっても敏感。いつもは『にぎやかなばばあ』の私が、疲れて少しでも背中を丸めていると『先生、大丈夫?』って聞いてくる。ステージで歌っていた頃よりテンションを上げてますよ」
このように園長先生として勤める傍ら、歌手や女優としての活動も続けていたという坂本スミ子さんは、とても多忙な毎日を送っていたようですが、いつも「体力が続く限り頑張りたい」とパワフルに話していたそうです。
晩年の音楽活動は愛娘の歌手・石井聖子との共演が多かった
坂本スミ子さんの晩年は、「一番のファン」を自認する愛娘で歌手の石井聖子さんとの共演が多かったようです。
71歳となった2008年、「自分の足跡、歌声を残したい」との思いから制作したという、坂本スミ子さんの50周年アルバム「夢で逢いましょう」では、愛娘・石井聖子さんがプロデュースを担当。
また、2010年に行われた石井聖子さんの誕生日ライブでも、親子共演を果たしているようです。
坂本スミ子の今は?2020年1月に死去していた…死因は?
さらに、79歳となった2016年には、坂本スミ子さんはさだまさしさんによる永六輔追悼トリビュートアルバム「永禄」に参加して、「夢であいましょう」を収録するなど、元気な姿を見せていたのですが…。
2021年1月23日、坂本スミ子さんは入院先の熊本市の病院で死去しました。死因は「脳梗塞のため」と説明されています。享年84歳でした。
坂本スミ子さんの最期を看取った娘・石井聖子さんによると…
坂本さんは今月2日に倒れ、熊本市内の病院に入院。脳梗塞の診断を受け治療を受けていたが、回復には至らなかった。石井は日刊スポーツの取材に「すごく安らかで、眠っているようで、今すぐ起きてきそう。亡くなったことがまだ信じられないです」と語った。
実は、坂本スミ子さんは、2009年5月にも脳梗塞を発症していました。しかし、この時には後遺症などもほとんどなく、3ヶ月後には元気に舞台に復帰していたのですが…。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
坂本スミ子さんの若い頃の経歴と、女優としての代表作となった映画「楢山節考」での壮絶な役作り、さらにその後の活動と2021年1月23日に死去した、坂本スミ子さんの死因についてまとめてみました。
主演映画『楢山節考』は最高賞のパルムドールに輝き、授賞式で笑顔を見せる坂本スミ子さん