
松田聖子の父親と母親は?生い立ちと実家の家族まとめ
1980年代を代表する実力派アイドルとして活躍し、「ぶりっ子」や「聖子ちゃんカット」など社会現象をも巻き起こした松田聖子さん。
今回、そんな松田聖子さんの生い立ちと、父親や母親、兄弟といった実家の家族とのエピソードについてまとめました。
その時の松田聖子さんと父親・孜さんの会話がネット上に残っていたのでご紹介しましょう。
電話口に出た孜氏は、「もしもし…」という聖子の問いかけに、「法子ちゃん。よかったね。よかったよかった。あのね、法子ちゃん、そんなに泣かなくてよいんじゃない。嬉しいことなんだから。いいね」と答えた。
続いて、「今日はお母さんと一緒にそこに行きたかったけど、どうしても仕事の都合で行けなかったわけ。それで今ね、あなたが出るところを見ようと思っていたら、あなたが1位になったでしょ。もうお父さんも嬉しくてね、もうよかったね。」と言っている。
さらに、「今ね、あなたと一緒に、去年ちょうど1年前かな、あなたと一緒に新宿でアイスクリーム食べたでしょ。あのときあなたが泣き出したから、お父さん法子ちゃんを一緒に連れて帰ろうかって言ったら、あなたが絶対頑張るんだって言うから…」
ここで曲が始まったことで、父親との短い通話が終わってしまうのですが、松田聖子さんは歌唱中も涙が止まらず、ボロボロだったと言います。
そんな父親・孜さんは、それから8年後の1998年に他界されています…。
松田聖子の実家の家族② 母親とのエピソード
母親・一子さんが松田聖子の芸能界入りを応援し、父親を説得
松田聖子さんの母親・一子(かずこ)さんは、福岡県八女市出身で、江戸時代は庄屋をつとめていたという、父親同様に名家の出身でした。
松田聖子さんが芸能界入りを希望した際、すぐに娘の夢を理解し、猛反対する父親・孜さんを説得してくれたそうです。
結局、松田聖子さんの芸能界入りを認めた孜さんですが、「一子が一緒に住むなら…」という条件があったからこそ、松田聖子さんの上京を認めたとも言われています。
松田聖子と母親・一子さんには絶縁状態が続いていた時期も…
その後、松田聖子さんは長らく所属してた「サンミュージック」から独立し、個人事務所「株式会社ファンティック」を設立するのですが、母親・一子さんは同事務所の会長を務めていました。
ちなみに、同事務所の代表取締役は、父親の孜さんで、後に松田聖子さんの娘である神田沙也加さんも、この事務所に所属することになります。
こうして母親・一子さんは、松田聖子さんのすぐ近くで彼女を支え続けました。そのお陰もあり、松田聖子さんは順調に売れていくのですが…やがて2人の関係に亀裂が入ってしまうことに。
その原因は、松田聖子さんの「ファンティック」退所騒動にあったようです。
松田聖子さんは、2014年2月に両親が会長と代表取締役を務める「ファンティック」を退所するのですが、その理由がマネージャーと新しい事務所を立ち上げるためでした。
しかも、松田聖子さんはそのマネージャーとは愛人関係にあるとの噂もあったことから、母親・一子さんは激怒し、その後、松田聖子さんとは数年間に渡って絶縁状態が続いたようです。
関係修復後は自宅をリフォームして同居していた
しかし、2018年3月に当時、86歳だった母親・一子さんが、「最後に、私があの子を守りたい」と言い置いて「ファンティック」の会長職を退任しました。そして、これをきっかけに、松田聖子さんと母親・一子さんの関係が修復されていったようです。
その後の2人の様子について、松田聖子さんの知人は次のように証言しています。
「聖子さんのそばには、いつも母の一子さんの姿がありました。80歳をすぎている彼女が、ずっと娘の聖子さんに日傘をさしているんです。最初は『あの人は付き人かな?』と思っていたのですが、後で聖子さんのお母さんだと聞いて驚きました」
そんな母親の思いを感じたのか、松田聖子さんも自宅をリフォームして、“母娘の二世帯同居”を開始するなど親孝行をしていたそうです。
松田聖子の母親・一子さんが病気で倒れる
そんな中だった2021年11月、フライデーが「松田聖子さんの母親・一子さんが倒れた」と報じました。
一子さんの病名などは公表されていないため、詳しい病状などは明らかになっていませんでした。
ただ、2021年12月18日に急逝した、孫の神田沙也加さんの葬儀が、12月21日に札幌で行われた際、祖母の一子さんも札幌入りをされているようなので、体調はそこまで深刻ではないようですね。
≪89歳祖母も札幌入り≫聖子の母で、沙也加さんを幼い頃から厳しくしつけてきたことで知られる祖母・一子さん(89)も札幌入りしていた。
幼い頃からおもちゃのマイクを手に歌うのが大好きだった孫に「歌手になるのだけはやめなさい」と言い続けた一子さん。それは“偉大すぎる母”と比較され、つらい思いをしないようにとの思いから。母娘で溝ができても常に沙也加さんを見守っていた。