
高橋真梨子の生い立ち&昔と若い頃!実家の家族もまとめ
歌手の高橋真梨子さんと言えば自身最大のヒット曲「ごめんね…」は世代を超えて今でも名曲としてだれでも知られています。しかし、生い立ちは壮絶なものでした。
今回はそ高橋真梨子さんの生い立ちや家族・実家、そして若い頃の画像などをまとめてご紹介します
高橋真梨子さんのプロフィール
高橋さんは、中洲のナイトクラブで歌っていたところ「ペドロ&カプリシャス」のペドロ梅村さんにスカウトされ二代目ボーカルとして参加しました。
「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」がロングヒットし第25回NHK紅白歌合戦に初出場しました。
1978年にヘンリー広瀬さんと一緒に「ペドロ&カプリシャス」を脱退すると、ソロ歌手「髙橋真梨子」として活動を開始し「あなたの空を翔びたい」でデビューを果たしました。
デビューすると、「桃色吐息」「はがゆい唇」「遙かな人へ」などが次々ヒットし一躍人気アーティストの仲間入りを果たしました。
さらに、1996年にリリースした「ごめんね…」は日本テレビ系列「火曜サスペンス劇場」の主題歌に起用され、さらにカラオケ・チャートでも40-50代女性の中で1位を獲得するなど自身最大のヒット曲になり歌手としての地位を確立しました。
シングル
1978年 あなたの空を翔びたい
1981年 夜明けのララバイ
1984年 桃色吐息
1996年 ごめんね…
2008年 目を見て語れ 恋人たちよ 他
アルバム
1979年 ひとりあるき
1991年 Sweet Journey
2014年 Adultica〜バラードを、いつも隣に〜
2018年 Katharsis 他
高橋真梨子さんの実家や家族について
高橋さんは、広島県廿日市市で父「森岡月夫」さん、母「髙橋千鶴子は」の間に産まれました。
高橋さんのお母さんはダンサーだったようで、お父さんとは広島にあるダンスホールで出会い1949年に結婚されたようです。
高橋さんが産まれる前の1945年8月6日父親は広島鉄道局へ、母親は広島市内の銀行で勤務中に原子爆弾に被爆されました。
父親は戦後、国鉄を辞めてプロのジャズクラリネット奏者を目指し米軍基地が多くジャズが盛んだった福岡に移り住みました。
しかし、父親は被爆したことが原因で脱疽の症状が出てると病状が悪化すると、両足を切断しないといけなくなりました。
そうなると働けなくなり、代わりに母親が中洲でホステスとして働き家計を支えていましたが、高額な痛み止めや治療費で母親の収入は消えていきました。
夫婦喧嘩も多くなると父親は家族に迷惑かけるということで広島の実家に戻り、高橋さんが小学3年生のころに離婚が成立しました。
広島に戻った父親は、広島市内のクラブでジャズプレイヤーとして働いていました。
しかし高橋さんが中学3年生の頃、父が危篤という電報が届き広島に駆け付けるも父親は元気に実家にいたようです。
腸捻転の発作を危篤だと間違えたということでした。
その数か月にまた危篤という知らせが来るも、また元気になると思っていた高橋さんはすぐに駆け付けませんでした。
すると、数日後に電報で「チチシス」と記され今でもすぐに行けば死に目に会えたのかもと後悔されているようです。
父親は37歳という若さで亡くなられました。
高橋真梨子さんの生い立ちについて
高橋さんの生い立ちは上記にも記載しているように大変なものでした。
広島で産まれた高橋さんは、母親に連れられて父親のいる博多に1歳の頃連れてこられました。
しかし、両親は5歳の時に別居すると小学3年生のときに離婚し、母親の「高橋」姓になりました。
中学校は、福岡市立高宮中学校卒業した高橋さんは父親の影響をからジャズボーカルの勉強を始めました。
九州女子高等学校(現・福岡大学附属若葉高等学校)に進学しましたが、プロ歌手を目指すために上京し駒沢学園女子高等学校へ転入しています。
本格的なレッスンを受け1966年に「スクールメイツ」の一員として芸能界デビューするも、自身が思っているアーティストではなかったので高校を卒業すると渡辺プロを脱退しました。
その後は、博多に戻りディスコやクラブで歌手活動を開始しました。
高橋真梨子さんは昔母親と確執があった!
高橋さんは昔、母親のことを確執があり許せなかったそうです。
その理由としては、父親が働けなくなり母親が中洲でホステスとして働き始めるとそこで知り合った妻子持ちの男性と不倫をしていたそうです。
相手の男性は本妻と離婚もせず、さらに子供も3人もいるのにもかかわらず高橋さんの家に入り浸っていたそうです。
さらに、暴力もあったそうです。
その男性と母親は酔っぱらって帰ってくることもあり、高橋さんは母親が自分のことを全く考えていなかったと当時思っていたそうです。
高橋さんは、母親よりも父親と一緒にいたいと思っていたようで家庭裁判所にも行ったことがありました。
しかし、父親は病気ということで無理だったようで、父親と一緒に生活しても食べていけないと想い一緒にいることを諦めました。それでも年に数回は父親に会いに広島まで言っていたそうです。
父親が亡くなった時、母親は高橋さんに泣きながら抱き着いてきたそうですがそれを振り切るほど母親のことが許せなかったようです。
そんな母親への思いが変わっていったのは、16歳でスクールメイツに入ってからだそうです。
その時、毎朝手の込んだお弁当や仕事が終わるのをずっと待ってくれていたこともあり母親の愛情を感じたそうです。
そうしている時、母親に末期のガンが見つかり余命半年と宣告され、高橋さんは「ああ、これでもう母を許さないといけない」と思われたそうです。
高橋真梨子さんの若い頃はかわいい!
高橋さんと言えばかっこいい女性という印象がありますが、若い頃は「スクールメイツ」の一員として活動していたこともあり、アイドルのようにかわいかったようです。
若い頃の画像をご紹介したいと思います。
若い頃、本当にアイドルのようにかわいいですが、現在もかっこよくそしてキレイな方です。
まとめ
今回はそんな、高橋真梨子さんの生い立ちや家族・実家、そして若い頃の画像などをまとめてご紹介しましたがいかがでしたか?
高橋さんの父親は原爆の後遺症に苦しみ37歳という若さで亡くなり、母親とは昔確執があり長い間母親を許すことができなかったそうです。
そんな母親との関係も良好になったものの、今度は母親が末期がんで亡くなりました。
これからも高橋真梨子さんの活躍を期待しています。
生年月日:1949年3月6日
出身地:広島県産まれ 福岡県県育ち
血液型:A型
職業:歌手・作詞家